熱気球の競技では、1つの競技をタスクと呼びます。
1回の飛行で1つのタスクだけが指定されることもありますが2つ以上のタスクが指定されることもあります。これらのタスクは、その日の天候などを判断して、飛行開始前に指定されます。

*パイロットデクレアゴール(PDG)*
 これは競技者(パイロット)が離陸前に自らゴールを宣言して、自分の宣言したゴールに近づいてマーカー(小さな砂袋)を投下するもので、風向き、風速、また地図の読みができないと、あとは運を天にまかせるしかなくなるシビアなゲームです。

*うさぎ狩り/Hare and Hound*
 この競技は、もっともポピュラーなもので、まず、ヘア気球が離陸。その離陸後、残りの競技気球がヘア気球を追いかけます。ヘア気球の先回りをしてもかまいません。およそ30分から1時間ぐらいでヘア気球は着陸し、ヘア気球の搭乗員は気球の近くにX印を設定します。この中心にポイントを打っておいて、この点をめがけて追いかけてきた競技気球の搭乗員はマーカーを投下します。もちろん、1番X印の中心に近いものが1位で1000ポイントもらえ、以下距離や順位に応じて点が配分されます。
 この競技の見どころは、競技気球が割に密集して飛行することです。

ヘア・アンド・ハンド

*ジャッジデクレアドゴール(JDG)・ヘジテーションワルツ(HW)*
 ジャッジデクレアドゴールは、競技開始前に競技委員長が特定のゴールを発表し、競技気球はスタート合図後個のゴールを目指して飛んでいきます。ゴールのもっとも近くへマーカーを落としたものが1位というゲームです。
 ヘジテーションワルツは競技委員長の発表するゴールが複数(2ヶから3ヶ)あるもので、競技者はどれを選択してもよく、この場合、順位はそれぞれのマーカーと一番近いゴールまでの距離によって争われます。


ミニマム・ディスタンス
*ミニマム・ディスタンス*
 この競技では、気球は一定時間(たとえば30分)飛行後、マーカーを投下します。マーカーの投下地点と離陸地点(ランチサイト)の距離が最小のパイロットが1位です。いかに空中で動かずにいるか、もしくはどうやって離陸地点に戻ってくるかが見どころです

*マキシマム・ディスタンス*
 この競技では、指定された地図上の範囲内で気球は、自由に飛行し、マーカーを投下します。
マーカーの投下地点と離陸地点の距離が最大のパイロットが1位となります。

*エルボー(ELB)*
 気球が離陸して一定の距離を飛行した後、マーカーを投下します。この後気球は、離陸地点とマーカーの投下地点とを結んだ進行方向から離脱するように飛行します。つまり、どれだけ異なった風に乗って飛行できるかをみるわけです。
 この競技は、他の競技と組み合わせて行われることもあります。

*フライイン(FIT)*
 競技委員長がゴールを1カ所定めます。パイロットはゴールより一定距離(たとえば5km)をおいて離陸することが求められます。一定以上離れれば、どの方向からも自由に飛んでくることができます。

*フライオン(FOT)*
 この競技は必ず他のタスクと組み合わせて行われます。まず、他のタスクでマーカーを投下します。
このとき、次に自分がどこを目指すかをマーカーに記入して宣言するわけです。パイロットデクレアドゴールに似たところがあります。


フライイン


熱気球の歴史

イギリス海峡横断、アイルランド海峡横断、アルプス越え。いつも最初に成功したのは熱気球だった。そんな熱気球200年間の軌跡を振り返ってみましょう。


熱気球の歴史は温められた空気が上昇することにヒントを得て、1783年フランスでモンゴルフィエ兄弟が紙で作った熱気球を飛行させたのがはじまりです。
フランスでは熱気球のことを発明者の名前をとって「モンゴルフィエ」と呼んでいます。(ちなみにライト兄弟初飛行は1903年)
 
 当時の気球は紙で作られており、熱源は木や紙くずを燃やして得られる原始的なものでした。ですから、熱気球の浮力を維持することが難しく、また気球自体燃えやすかったので、熱気球はその後長いこと飛行されることなく、ガス気球が気球の主流になっていきました。
 
 熱気球発祥の地フランスは当時、フランス革命の最中でした。包囲された街中から通信の手段に気球が使われたという記録があります。
 1795年には、ドーバー、カレー間の海峡横断に成功。
 1870年頃に英仏海峡間で気球によって初の航空郵便が輸送される。
 19世紀なかばには、ガス気球の長距離レースも頻繁に行われる。

ガス気球にスターの座を奪われた熱気球は、第二次世界大戦後、化学繊維(ナイロン、テトロン)の発達とプロパンガスの普及のおかげで再び脚光を浴びます。

 1950年代後半現代の熱気球の原型が制作される。
オーストラリアやアメリカの学生たちを中心に現代の熱気球の原型が制作され、それはすぐに欧米全体に広まっていきました。60年代にはいると熱気球を制作販売する会社が何社も設立され、英仏海峡の横断もさかんに行われるようになりました。

 化学繊維の発明、プロパンガスの普及、どこからでも、誰もが自動車を運転するように操縦できるところから熱気球の愛好者は世界中に広がり現在約10,000機の熱気球が飛行していると思われます
国別ではアメリカが最も多く、世界の5割をしめ、イギリス、フランス、ドイツ、そして日本がそれぞれ500機から800機を保有しています。

 日本では1969年に学生たちの自作の熱気球が初飛行に成功。中国には80年代はじめに導入され、いまでは熱気球の制作や大会の開催を行うまでになっています。そのほか、1機でも気球のある国をあげていくと約60カ国以上に普及しているのではないかと思われます。

 スポーツとしての熱気球の飛行が日常化する一方、熱気球の限界に挑戦するフライトもさかんに行われてきました。
成層圏まで上昇し、17,000メートルまで飛行した記録もあります。(特殊なカプセルを使用)このほか、大西洋の横断、北極点の飛行など。

 気球愛好者が集まるバルーンミーティングは60年代の早い時期から始まり、現在では毎週末に世界のどこかでいくつもの大会が行われていることでしょう。その中での最大のバルーンミーティングは米国のニューメキシコ州アルバカーキの大会で毎年10月に500機以上の熱気球が参加します。昨今では気球に広告を入れて飛行するサービスも始まりました。さらに宣伝したいものをそのまま熱気球にしたいというスポンサーの意向がシェイプドバルーン(変形気球)を生みました。また宣伝を目的としないシェイプド気球(動物の形、アニメキャラクターなど)も近年増えてきました。


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